
https://plaza.rakuten.co.jp/gospelgospel/diary/202102230000/
問題を持ってくる人には、そこで立ち止まるということはありますけれども、世の中には全然問題を感じないという人もいます。自分自身の中に何も問題はないというわけです。夫婦仲はいいし、子供はよくデきた子だし、収入はあるし、健康だし、「何も問題はありませんね」というんですね。
けれども、それは問題がないのではなくて、問題を見出すことのできる目を持っていないということではないかと思います。私たちは人間として生まれてきて、人間であるかぎり毎日人間として生きようとしたときに問題を感じないということはないのではないかと思います。
(三浦綾子『なくてならぬもの』)
https://plaza.rakuten.co.jp/gospelgospel/diary/202112150000/
「自分一人くらいと思ってはいけない。その一人ぐらいと思っている自分に、たくさんの人がかかわっている。ある人がでたらめに生きると、その人間の一生に出会うすべての人が不快になったり、迷惑をこうむるのだ。そして不幸にもなるのだ。」
おじいさんは、しみじみとこうおっしゃいました。そして、真の意味で自分を大事にすることを知らない者は、他の人をも大事にすることを知らない、ともおっしゃいました。
(三浦綾子『続氷点(上)』)
https://plaza.rakuten.co.jp/gospelgospel/diary/202203010001/
「そうです。ぼくはともすれば、いいものをつくりたいと思うあまり焦っていたような気がするんです。しかしぼくは、ひとつのものを生み出すのに、時間をかけて待つということを今度知らされたような気がするんです。頭の中に何かひらめくでしょう。
するとすぐに、ぼくはそれを製品にしてしまいたいと思う。そりゃあ、デザイナーにとってひらめきは大事だけれど、しかし時間をかけて、かもしだすことも大事なんじゃないか。
かもしだされたものには、単なるひらめきによって作ったものとは、ちがったものがあるはずですよね。そのためには待つという時間が必要なんです。
電子レンジでは、本当の味が出ないでしょう。時間をかけて煮るということが、料理には必要でしょう。家具だって同じですよ。そう思うとね、ぼくはあなたにたくさんの礼をいわなければならないような気がして・・・・」
( 三浦綾子『果て遠き丘』)